本編では触れられなかった設定①

主人公、羽生晴子の旧姓は、岡島晴子
公表されていないのであまり知られていないが、父は三枚目俳優の島じゅん平(本名 岡島順一)
母はピアニストの村越孝子。

女子校に通っていた高校生時代、友人に懇願されて生徒会長に就任。

外交官だった叔父の岡島孝二より「これからの時代は君のような強い女性外交官が必要」と説得されて外交官を目指す。

先輩外交官の羽生茂久より、従兄弟の会社役員、羽生利樹との見合いを勧められ、見合いを経てそのまま結婚。

外務副大臣だった在原康雄に熱意を買われ、説得されて議員へ。41歳で衆院議員初当選。

信念と決断力で常にリーダーシップを振るってきた羽生だが、進路や結婚など、自分のことに関しては自分で決めたことがほとんど無いのがこの主人公の面白いところ。




本編では触れられなかった設定②

羽生政権誕生の前後

古賀実が第94代内閣総理大臣に就任。初期までは支持率も高かったが、当時、野党第1党だった平和党がでっち上げた公職選挙法違反により、支持率は急落。国会では平和党による公選法違反への追求ばかりで、政策は進まない。
安定した政権運営は無理と判断し、就任から2年で退任へ。
しかし、後任となる総裁選で新総裁に選ばれたのは、親中派の槌谷だった。こんなことなら政権に居座り続ければ良かったと後悔したと、後に語っている。


国民に厳しく、外国に甘い槌谷政権に国民の不満は募り、景気も悪化。国民の怒りは頂点に達し、槌谷に辞任を求めるデモが各地で勃発。正進党への不信感も高まる中で、「真の保守政党」を名乗る護国の集い党首、水野の演説は国民の注目を集め、支持率は上昇、大きく議席を伸ばした。

槌谷政権の支持率は、正進党始まって以来、過去最低を記録。正進党総裁の任期満了にて辞任を表明。1年だけの短期政権となった。


この頃には、古賀の公選法違反が、事実無根のでっち上げではないかとの噂がネットで拡散される。平和党と、このことを一切報じないマスコミへの不信感が国民の間で高まると同時に「古賀をもう一度総理へ」との声が多く挙がった。


槌谷の後任で総裁、及び、第96代内閣総理大臣に選ばれたのは、古賀首相のもとで幹事長を務めた古賀の右腕、田島佐市。
田島政権によって経済は回復。槌谷政権による外国人優遇政策はことごとく廃止。国民は田島政権の誕生を歓迎した。

衆院選を経て第97代内閣総理大臣に就任。依然として支持率は高く、安定していた田島政権だったが、ある日、田島総理の行方不明が報じられ、翌日には田島総理の自殺と報じられた。不可解な点も多く、暗殺を疑う声が多かった。


1年半の任期を残して但馬政権が終了。在原康雄が第98代内閣総理大臣に就任。環境政策や防衛力強化など、それなりの評価を受けてはいるが、増税や弱腰外交で不評を買うなど、賛否が分かれる。
田島前総理が残した1年半の任期を持って、退任を表明。羽生に託す。


前回の衆院選で、平和党を超える議席数を獲得し、新たに野党第1党となった護国の集い党首の水野は、羽生政権の不備を強く指摘し続けたが、不安を煽るだけだと支持者からも見放され、支持率を落とした。
このことについて水野は後に
「槌谷政権、並びに正進党への不満から、政権交代を訴え続けてここまで議席を増やした。政権交代を成し遂げなければならないという使命感に縛られ、結果、政権の足を引っ張ることが目的になってしまった。」
と、反省の弁を述べている。





AIに生成してもらった、槌谷一央のイメージ画像
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